書こうと思っている小説の資料として、ギヨーム・アポリネール『一万一千の鞭』(河出文庫)を読んだ。
それとは関係なく、アチェべ『崩れゆく絆』が衝撃的だった。
そこからミシェル・レリス『幻のアフリカ』へ。レリスはフランス人だから、白人側の視点で見ていく。アチェべはナイジェリア人で、イギリス人に占領されたから少し事情は違うが。
山口昌男『アフリカ史』カプシチンスキ『黒檀』、いずれも持っているアフリカ関連の書籍であるから、読もうと思う。いずれもアフリカの外の視点から書かれたものであることが懸念といえば懸念の一つである。
宇多田ヒカルを1日聴く。Prisoner of Loveからの連想で、「ラスト・フレンズ」、そしてそこから私の記憶の引き出しの中で同じ場所に入っていたドラマ、「薔薇のない花屋」を見たいと思う。愛について。認識について。孤独について。〈私〉であることについて。傷について。悲しみについて。宇多田ヒカルは本当に示唆的で博学だ。spotifyの宇多田ヒカルのトークも面白い。尊敬している。
物理学についても宇多田は関心があるだろうと思い、朝永振一郎『物理学とは何だろうか』を読む。
コペルニクスからケプラー、そしてガリレオ、ニュートンに至る、物理学の道程。
ケプラーが神秘家でもあり、彼の文章には神秘術や霊的なものを根拠とする部分があるかと思えば、数学を用いた微細な火星の軌道に関する研究もあったりして、当時の物理学は呪術や神秘術・魔術とくっきりと区分けされていなかった学問だったことがよくわかる。
ガリレオがケプラーの書いたものは一顧だにしなかったという話を面白く思った。
数学チャートの1Aをやっているが、「命題の真偽」のところで、十分条件か、必要条件か、必要十分条件か、そのどれでもないか、答えるという問題があり、その正答率の低さに落ち込む。自分は全く論理的な人間ではないということ!?きちんと反例を検証しないといけない。
論理性が似ている。