非公開風日記 12/3

もう12月3日かい!

先月に開催を決めた「軟らかい水 新ネタライブ『happy hour』」まで一ヶ月半となってしまった。ネタは作っているけども、小道具が大変なものばかりになってしまって、工作が間に合わない。間に合わないというのは多分嘘で気分的に間に合っていない感じがするだけのこと。しかしゲストに来てくださる皆さんは本当に一つのことを続けていてすごい、自分はかなり方々に気が散ってしまう人間で、よく言えばやりたいことが多すぎるので散漫に多動に過ごしている。

お笑いのネタを見て「(短編)映画を見たようだった」という感想はよくあるが、その感想はお笑いのネタを映画の域にまで引き上げて評価してみせているつもりかもしれないが、評者がお笑いのネタを映画より下のものとして感じていることの表れである。

3分の映画を作る労力と3分のネタを作る労力はどのように違うのだろうか?

かかる資本で言えばカメラや照明やマイクや役者の手配、道路使用許可の申請費、衣装代、小道具代など、映画の方が純粋にかかるお金は大きいだろう。

対して3分ネタというのはかかる経費で言えば衣装代・小道具代くらいである。そのほかにファミレスとか喫茶店でうんうん唸ってネタを作り出すという時間と飲み物代があるが、これは映画と同じである。

つまり3分ネタにかかる経費をP、3分映画にかかる経費をQとすれば、完全に

P⊂Q

なんである。

ネタが映画より下に見られる原因というのはこれなのだろうか?

自分たちは無意識のうちに、芸術にかかった費用や努力を推測してしまいがちである。かかった労力や資本を勝手に計算して「スゴイ」とかってなってるわけである。

「この映画金かかってるなあ」とかいう感想がそこから生じてくる。

いやそこじゃないだろ!!!

面白いか面白くないかなんじゃあないの!?!?

とも思うが、なんでこんなにお金一辺倒の価値基準ができてしまったのか?を考えることが重要だと思う。

あと「推し」。「お金」か「推し」かって、あなた。

「美」とか「真実」とかはどこに飛んでっちゃったのでしょうか。

でも、実際労力をかけているもの(長編小説とか、オモコロ杯の記事とか)を読むと「スゴイ」ってなってしまうけど、そこは冷静に価値を判断できる人でありたい。

 

そういうめんどくせ〜ことを考えてる人のライブが来年2024年1月14日(日)にあります。

ぜひ来てください。結構労力をかけているので。

 

tiget.net

 

 

 

 

 

2017年に書いた下書き

はてなブログの下書きを見返してみたら、2017年に書いた日記のような文章が出てきた。

恐ろしい内容だった。

↓↓↓

ーーー

12/29

イマジカ赤坂に朝から行くが、遅刻。遅刻しすぎて変な感じに。バナナ、豚しゃぶとパスタのサラダ、伊右衛門、スイートポテトを朝食代わりに買って行った。出前の弁当は脂が多いのでさっぱりしたものを食べた。

番組のテロップ直し。何度も何度も繰り返し見たのに、サイドテロップに間違い発見。荒俣宏西郷隆盛、抱かれるならどっちか。局のプロデューサーとチンギスハンならどっちかといった話題でもりあがる。

 

仕事納めだったがヌルッと終わった。忘年会にすぐ行く気分でもなかったので、いったん吉祥寺に行ってウエスタンでロンTを買った。そのあと赤坂でやってた忘年会に遅れて参じようとするも、疲れて気分がのらず。店の前で折り返しいったんコンビニに。エロ本の列の数は土地柄を示すらしいが、赤坂のコンビニは横に5列もあった。

 

とにかくお腹がすいたので新宿のベルクに。結構通ってるが、はじめて井野朋哉店長にお目にかかった。厳しそうな顔。店長としてとかではなく、寒風にさらされてきたという印象。クワトロチーズドッグ、フライドポテト、マイスターミックス(三種のハム)、黒ビールと生ビールのハーフ&ハーフを注文した。

 

ーーー

これがなぜ恐ろしいのか?

まず一行目の、「朝から行くが、遅刻。遅刻しすぎて変な感じに。」という一文でサラッと済ませているが、当時、10:00集合なのに16:00に行ったりしていたことを「遅刻しすぎて」という言葉の中にあっけらかんと内包させていることだ。

それに「朝から行くが」という表現も引っかかる。わざわざ「朝から」と書くことに、朝から俺を行かせるなと言わんばかりの抵抗を感じる。

遅刻することにおいて全く悪びれていないことがわかる。

唯一、少しの悪びれを感じるとすれば、下書きに保存して公開していないところだろうか。

 

また、「忘年会にすぐ行く気分でもなかったので」とかっこつけているが、遅刻しまくっているので普通に行く雰囲気ではなかった。

その後、赤坂→吉祥寺→赤坂というまあまあの距離を移動したことになっているが、多分嘘。

「疲れて気分がのらず」とか書いてるが、前述の通り遅刻しすぎたせいなのに、体調のせいにしてごまかしている。

 

社会人一年めの文章で、とにかく働きたくない、しかしそれを認めたくないし、労働は悪であるという思いが全面に出ていて味わい深い。

あと全体的にかっこつけている。

文章は嘘をつくということを端的に示した例だと言えるのではないでしょうか。

ご査収ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お笑いを再開します + 自己紹介の文

明言2023


 
この度、お笑い活動を再開します。
 
2022年5月に「ナサ」というコンビを解散し、預かり所属であったタイタンを離れて以来、一度友人の主催する演劇に出演したことを除いては活動をしていなかったのですが、この度フリーのピン芸人として活動を再開いたします。
 
活動名は暫定的に「ARIYA」です。
ツイッターの名前がこれなので、とりあえずそのまま使用します。しれっと「軟らかい水」に変えているかもしれないです。
 
一人コントを中心に活動してゆくことになる予定です。
 
以下、僕の来歴などについてまとめました。
 
 

〈来歴〉


2012年 ICU国際基督教大学)入学
ICUお笑い研究会(トンツカタン森本さん グータン森山 ラマヌジャン三好など輩出)入会
 
主にコンビ「セルベーヌ」、ピン「軟らかい水」として活動
 
2015年 コンビ「ランドール」でM-1グランプリ2回戦進出
2016年 ピン「軟らかい水」でR-1ぐらんぷり2回戦進出(アマチュア
 
2017年 I C U卒業
     卒業論文村上春樹における悪」
2017年 映像制作会社に新卒入社
 
2017年 コントユニット「シル」に参加
〜19年くらい?までシルで活動 フェードアウトする
 
2018年 コントトリオ「パーカーホ」結成
2018年夏 「パーカーホ」でM−1グランプリ2回戦進出
2019年8月 単独ライブ「エキス」(阿佐ヶ谷アートスペースプロット)開催
     全3回公演 200人動員

パーカーホ単独「エキス」のフライヤー。
フリー芸人のフライヤー史上最も縦に長い。


 
2020年 「パーカーホ」活動休止
     「タイタンの学校」3期に入学→「ナサ」結成
 
2021年 「ナサ」としてタイタン預かり所属に
     「ナサ」でM−1グランプリ2回戦進出
2022年 「ナサ」解散 →いったん芸人休業
 
2023年 ピン芸人として活動再開
 
―――
 
「2回戦進出」など、「漢検4級」みたいなものなのかもしれませんが、実績は実績なので書いています。
 
振り返ってみると色々やったりやめたりしていて落ち着きのないやつだなという印象ですが、その通りです。今度からはピンとして活動してゆきます。2018年以降で言うとトリオからコンビになり、一回やめてからピンになったので、3、2、0、1全て経験しているということになりますね。
 
状況としては、2017年に新卒で入社した映像制作会社に籍を置きながらの活動にはなりますが、フリーランスのような勤務形態なので、ライブは土日に限らず出演します。
 
 

〈過去の参考ネタ〉


・パーカーホ「電車」
https://youtu.be/d_G92olDND4?si=8mOfKouS8U0ozf0o
 
 
・ナサ「刑事」(作・吉岡)
https://youtu.be/PN-IiVmWMpg?si=Z7umK4VSDFuBqJTi
 
 
 
 
 

〈特技〉


村上春樹のしゃべりのモノマネ
即興でのバイオリン耳コピ
指を反らせ、手の甲で丸いものが持てる
 

〈趣味〉


海外小説(サミュエル・ベケットイタロ・カルヴィーノミラン・クンデラトマス・ピンチョン、ウラジーミル・ソローキン、ミシェル・ウエルベック、残雪など)
国内小説(村上春樹村上龍大江健三郎高橋源一郎中原昌也舞城王太郎村田沙耶香、遠野遥など)
演劇鑑賞(青年団、S C O T、ナカゴー、ほりぶん、岩井秀人本谷有希子、市原佐都子、加藤拓也など)
ゲーム(ポケモンスマブラむらびと・ホムラ)、ペルソナ5、MOTHERシリーズ)
 
 

〈他の活動〉


 
ポッドキャストをやっています。
I C Uお笑い研究会の同期でサンミュージック所属の芸人・グータン森山と、同サークル後輩で雑誌編集者のかごはらと一緒に、エンタメについておしゃべりするポッドキャスト不定期で更新しています。
だんだん学生時代のストックだけでエンタメをやりくりしてきてしまうことに危機感を感じ、始めたポッドキャストです。ガッツリ批評とかはしておらず、ゆるく話しているのでぜひお聞きください。
https://open.spotify.com/show/0mja4AefzJsBixbjrDcqcQ?si=941ff026f55d45b0
 
 
 
大喜利が好きです。
そんなに得意というわけでもないし大会で勝った実績があるわけではないのですが、大喜利が好きで時々ライブに出ています。
 
余談ですが2022年にYTV「THE 5連覇無双」という番組で大喜利ブロックの担当ディレクターをやりました。洛田二十日さんや冬の鬼さんをはじめ、関東の大喜利界隈の方々を地上波のテレビで紹介できたのが嬉しかったです。
 
 
 
・たまに音楽を作ってYouTubeに載せています。
https://www.youtube.com/channel/UCa1IXolYIPEF3d4IgyG3bTA
 
 
7〜8歳からバイオリンを習っていて今でも十分に弾けます。ナサ時代にコントでもよく用いていました。
いつかきちんとクラシック音楽の作曲を習ってバイオリン交響曲を書きたいという野望があります。
 

 
・テレビ制作会社関連
主にディレクターで携わった番組・・・
ABEMA「オオカミくんには騙されない」「恋愛ドラマな恋がしたい」「私たち結婚しました」、Disney +「Disney イッツ・ア・クイズワールド」、ytv「THE 5連覇無双」大喜利ブロック、NHKクローズアップ現代+」「世界サブカルチャー史」など
 
テロップワークやC G作成などは守備範囲外ですが、基本的な編集はできます。
 
 
 
 

〈今後の展望〉


 
予定も何もかも全く決まっていませんが、ピンとして活動していきつつ、数人で長いコントをやる公演を定期的に打ちたいです。もともと劇場という空間が好きで、お笑いも好きで、その両方を効果的にかつ充実感を持って打ち出せるのがロングコント公演だと思っています。
 
また、ピン芸人として事務所に所属するかどうかですが、近々ではその予定はありません。ただ、状況に応じて変わる可能性はあります。
 
ピンでのネタライブや大喜利ライブなど、呼んでいただけましたら嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
 
 
 

〈おわりに〉


 
ここまで読んでいただきありがとうございました。
いろいろな活動に手を出していることからご推察かもしれませんが、
お笑いに限らず、面白いことを追求していきたいと思っています。
そのためには、まずは僕のことを知っていただきたく思い、この文章を書きました。
その上で、面白いことがそのまま生活につながるような人生を作れたらと思っています。
今後ともよろしくお願いします。
 
 
ARIYA

超越的ぶったぎり(による笑いの)感覚をめぐって(2020年4月16日)

・魅惑的な乱暴さについて

コンロの火を弱火にしていたトモ子は、この世界が途中で消されてしまうクイズ番組だということを理解した。(『トモ子のバウムクーヘン本谷有希子


乱暴な魅力があると思う作家がいます。本谷有希子中原昌也平山夢明黒沢清など。何もバイオレンスな描写が多いからではありません。
共通点としては、飛躍です。文章の中では明らかに飛躍しているのだが、そこに飛躍するのか!という気持ち良さがあるのです。訳わからんけど、訳わかるという感触。

「ほんの一時間前のことだった。花屋の露店や靴磨きがいたはずの場所に、白い熱気球が落ちてきたのだ。
(中略)
そこへブルドーザーが到着。いちいち瓦礫など細かいものを片付ける手間を省き、いっぺんに整地を始める。その跡に派手な花壇でも作ればいいのだ。」
中原昌也『あらゆる場所に花束が……』

「その時だった。近所の福田さん夫妻宅が、大きな音を立てて爆発したのは。
(中略)
猛烈に上がった火柱の恐ろしさのせいで、誰もが圧倒され、消防車を呼ぶのを忘れてしまっていた。告げ口すれば、炎に復讐されるのだという暗黙の了解のもとに、人々は消火活動を忘れ、夏の花火大会のような雰囲気とは程遠いが、唖然としてただ眺めるだけだったのだ。恐怖を忘れるためにも、炎を眺める人々は缶ビールを必要とした。」
中原昌也『パートタイム・デスライフ』


また、映画において、黒沢清「回路」「散歩する侵略者」で唐突に戦闘機が出現するあの感じ、

キム・ギドクの映画「うつせみ」の、主要な登場人物が透明人間となる強引な展開。観たことのあるかたならば、共感のよすがでも感じてもらえるのではないかと思います。

この感覚は何か。ぶった切られている、という印象。感覚。
僕は、それは「笑い」に回収される感覚なのだと思います。
なおかつ、笑いの中でも圧倒的な強度を持つ種類の笑いだと感じています。

お笑いのネタで例をあげましょう。


ゴッドタン・マジ歌選手権 劇団ひとりのニワトリの回
(芸人が本気で作った歌、通称「マジ歌」を披露するという場において、ニワトリとして登場する)

劇団ひとり ニワトリ


「クイズ正解は一年後」で、来年のコボちゃんの漫画がどういうものかを予想するコーナーでの、野性爆弾・川島(当時)の回答
https://youtu.be/MvybO963b_w

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(こまったなぁ ママはいないし おちちも出ないし・・・)

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つまり、立川談志のいうところのイリュージョン、訳のわからないが、なぜか共感できるという笑いです。


落語に、頭の中にできた池に飛び込んで死ぬという話があるらしいですが、それこそまさにイリュージョンを端的に示していると思います。


はたまた、お笑いライブを見ていて、訳がわからないのにめちゃくちゃ笑った経験、YouTubeにあるものだけでも紹介すると、

三四郎ドラゴンボール」の漫才
ドラゴンボールを途中までしか読んだことのない相田さんに、小宮さんがフリーザの変身形態を説明する際、第三形態を「エクレア風」と評したことに相田さんが「エクレア!?」と返し、「いや、エクレア“風”!!」というのだが、なぜか「風(ふう)」がきちんと言えず空気が大量に抜ける音になる部分)
https://youtu.be/BiIdqVG66nw

街裏ぴんくホイップクリーム
https://youtu.be/rt-i3ozKyAg

かもめんたる「おかえり another ver」(特に、宇宙人の説明をしてる部分)
https://youtu.be/PO4SjMhPJwM

・ぺこぱ、M−12019の1本目の、「急に正面が変わる」というボケ、
ハリウッドザコシショウの「誇張しすぎたモノマネ」
友近「ヒール講談」
かが屋「年金」
・シソンヌ「好きになっちゃう」
笑い飯の漫才全般
・ダイアンの漫才全般
・千鳥の漫才全般

・・・など、枚挙にいとまがありません。

わたしの感覚では、それらの笑いには超越的なものを感じます。
つまり、社会の約束事でない、そんなものの外側にある、むき出しの、世界を見せられているという感覚。

スピードワゴンの小沢さんが、チュートリアルが2006年、M−1で優勝した時の漫才について、なぜ圧倒的だったか、それは「世界」を見せたからだと言っていましたが、全くその通りだと思います。
小沢さんの謂いは、「完成された一つの世界観」という意味だと思われますが、
「世界」というのは、一つではなく、認識の数だけあるので、矛盾ではありません。

社会の外側にある「世界」を、無理やり見せられた、その裂け目を、のぞけたような感覚です。そしてこの感覚は、僕に強烈な体験をもたらし続けています。
超越的ぶったぎりの感覚。
この感覚の顕現が味わいたくて、お笑いを見て、また、いろんなコンテンツを享受して、はたまたコントやなにやらを作っていると言っても過言ではありません。


・共感について

笑いとは、よく「共感」だと言われます。

しかし、それには社会的な共感と、世界的=超越的な共感の二種類があると思われます。

超越的な共感というとスピリチュアルな話との誤解を受けそうなので、

「神話=世界」的な共感、としましょう。

我々の住む社会は、啓蒙された社会です。
啓蒙された「社会」の中で「神話=世界」を感じさせる笑い、
それが、立川談志の言うところのイリュージョン、僕が言うところの超越的ぶったぎりの笑いなのではないかと思います。
そしてそれは、最も強度のある笑いだと思います。

強度のある、とは、具体的には、そこには真実があり、真実があるために、時代を経ても鑑賞に耐えうるものだという根拠のない確証が得られるということです。

・「社会」と「神話=世界」、日本とアメリ


日本のお笑い芸人は、政治的スタンスをあまり取りたがらないことが、往々にして批判されます。

お笑い芸人が、政治的スタンスとの距離感を間違えているのをテレビやS N Sなどで目撃してしまい、そのあとでその人を見ても、なんだか笑いづらくなってしまったという経験は誰にでもあると思います。また、うまく政治的発言やスタンスを取っている芸人もいます。爆笑問題はその良い例だと思います。


なぜ、政治的スタンスを間違えると芸人は(少なくとも日本では)笑いづらくなってしまうのか、
それは、「社会」の文脈につかり過ぎて、「神話=世界」から遠ざかるからではないでしょうか。

そして、日本人は、啓蒙されきっていない、「神話=世界」の状態が、好きなのだと思います。

宮崎駿の『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『崖の上のポニョ』『となりのトトロ
新海誠君の名は。』『天気の子』といった監督たちの作品を見ても、随所にアニミズム的なモチーフや、都市対自然の相克、といったテーマが散見されます。

庵野秀明新世紀エヴァンゲリオン』、押井守うる星やつら ビューティフルドリーマー』『攻殻機動隊』、北野武『H A N A―B I』など作品群には、天使や恩寵のイメージが頻出します。

また、新型コロナウイルスの渦中にあって、アマビエという妖怪の絵が、お守り的に出回ったり、
それは、江戸時代に地震を収めるために、鯰絵を描いて地震に対する祈りとしたことと、同じです。

日本人は、「神話=世界」に多くの共感と滋養を得て、生活の知恵としてきたのだと思います。
これは、アメリカ映画に「他者」との関係や「自由」をテーマにしたものが目立つのと、好対照をなしています。


アメリカのコメディアンが政治的なジョークを良くすることと対照的に、日本のお笑い芸人が政治的風刺ネタをあまりやらないことが批判されることがありますが、

アメリカという国は、そもそも、ネイティブアメリカンが持っていた壮大な「神話=世界」の世界観を、ヨーロッパ文明が殺戮し、「社会化」することで成立した国だからではないかと思います。なので、一般的なアメリカ人は、「神話=世界」に対する共感ではなく、「社会」に対する共感を強く持つのではないでしょうか。
おそらく、アメリカという国の成立過程に関する無意識の罪悪感をアメリカ人は共有しており、また他民族社会であるアメリカ社会を成立させている、ある種の建前(人種間に貴賎はなく、能力や地位は平等だ、といったような)のウソを暴露するという形で、現在の社会の存在を批判的に肯定するという機能を、アメリカのコメディアンの笑いは担っているのだと考えられます。それはアメリカ文学アメリカという国をまとめ上げるために担ってきた機能と、根本的には同じものだと考えられます。

なので、日本のお笑いとアメリカのコメディ、特にスタンダップコメディは、成り立ちからして違うのです。

余談ですが、日本の「笑い」の輸出がうまくいかない背景には、そういったことがあると思います。
(でも、映画は輸出できても笑いは輸出できない理由はなぜなのでしょうか・・・それについてはまたの機会に考えたいと思います)


・掃除機的な、大雑把なまとめのようなもの

なにも、「神話=世界」というのは、神道的な世界観であるとか、アニミズムであるとか、キリスト教的、イスラーム的、仏教的世界観、総合すると宗教的世界観のみを指すものではありません。

「神話=世界」というのは、「意味のない世界」であるのです。

千葉雅也さんの概念に、「意味がある無意味」「意味がない無意味」というものがあります。

「意味がある無意味」とは、無意味であることに意味がある無意味、つまりナンセンスであることに価値があるものです。
それに対して「意味がない無意味」とは、意味のないことにも意味がない無意味。

意味、それは「理解」とも言い換えられる。合理的であるような理解である。また、ここには「共感」という問題もある。合理的な理解の外部---つまり、非合理性について私は何かを考えている。共感の外部ーーー我々が(また、事物一般が)別々に分離された状態、あるいは無関係について、私は何かを考えている。                        私が思い描いているのは、「意味の広大な外部」といった開放的なイメージではない。むしろ、意味の雨が降り注ぐなかで、縮こまって自らを防御している建築物のようなものーーーそのような、「閉じられた無意味」なのである。                               (中略)                              私はここで、その無意味を〈意味がない無意味〉と呼ぼう。意味がない無意味は、〈意味がある無意味〉に対立するものである。          (千葉雅也「意味がない無意味ーあるいは自明性の過剰」『意味がない無意味』所収)


剥き出しの「世界」とは、千葉のいう「意味がない無意味」のことを指すのだと考えられます。
なぜなら、「意味がある無意味」は社会的な文脈において通用し、「理解」されることが期待されているからです。

それでは、これまで擁護してきた「神話=世界」に接続する笑い、イリュージョンというのは、全く荒唐無稽な、気狂いのうわごとのようなものでしょうか。
私はそうは思いません。
もちろん、社会的な共感を示す文脈が全くなければ、ただのうわごと、宇宙人の話す言葉になってしまうでしょう。

限りなく「意味がない無意味」=「神話=世界」に漸進的に近づいて接続しようとする「意味」、ギリギリ「社会」に戻ってこれるそのとんぼ返りを示す身振りが、超越的ぶったぎりの感覚を呼び起こすのです。

月にタッチして帰ってくる身振り。それこそが、圧倒的な、強烈な笑いの感覚なのだと思います。


最後に、音楽の分野から、僕が超越的ぶったぎりの感覚になるものを紹介して終わります。

スピッツ「みなと」

汚れてる野良猫にも いつしか優しくなるユニバース
黄昏にあの日二人で眺めた 謎の光思い出す


ゆらゆら帝国「グレープフルーツちょうだい」

さっきからあなたの目の前でおとなしくうなずいているだけのぼくだけど
頭の中ではいよいよたいへんなことがおこっています
あと10秒数えるあいだにここからどこかへ消えてくれないと
お前の大事な冷蔵庫の中身を全部食っちまうぞ
グレープフルーツちょうだい
グレープフルーツちょうだい
グレープフルーツちょうだい


たま「鐘の歌」

都に春が来ればいつもさびしい子供がいなくなる
都に春が来ればいつもさびしい子供が行方不知だ
それはみんなさかな釣りに行っちゃったのだから
さがさないでさがさないでよ

参考文献


千葉雅也『意味がない無意味』
宮台真司『わたしたちはどこから来て、どこへ行くのか』『〈世界〉はそもそもデタラメである』
本谷有希子異類婚姻譚』『来来来来来』
中原昌也『あらゆる場所に花束が……』『子猫が読む乱暴者日記』『パートタイム・デスライフ』
フリートマル・アーベル『天への憧れ』
早稲田文学増刊号『「笑い」はどこから来るのか?』
岸田國士戯曲賞選評
松本大洋「ピンポン」

以前は面白かったお笑いが?

はたらきはじめて、お笑いやエンタメのありがたみがわかるといった話はよく聞くが、僕が一番感じるのは、以前は面白かったお笑いが、まったくどうでもいいものになっていたり、逆に、まえよりも輝きを増していたりするということだ。

僕は会社に入るまで働いた経験がくもんのバイトしかなかったので、いろいろな年齢の人たちといっしょに何かをするということを経験し始めたのが去年からなのだが、そうしていわゆる社会人になってみて、以前は好きだったのにどうでもいいと思ってしまうようなお笑いが、増えた。それは音楽や映画や、ひとの話や食べ物にしたってそうだと思う。差し迫ってこないものはだめだ。

おじさんになってしまったのだろうか。多分違くて、大学の時より疲れてるからだ!

たぶん、お笑いサークルにいたときは、自分がどういったポジションをとるかとか、だれがどういうネタをやったからおれはこうするとか、そういったことに知らないうちに集中していたから、本質の、核の部分が面白いかとか、届いているかとか、意味があるかとか、そういったことに考える力が行っていなかったのだと思う、これはあらゆる業界やコミュニティに言えることで、内輪で牽制しあっているうちにどんどんタコ壷化してつまんなくなっていく。


政治をなるべく考えないようにしないと、なにごとも面白くならないのかもしれない。

しかし、若者はいよいよたいへんで、なぜなら、 日本は男も女もみんなおっさんになってしまったから(しかも、年齢は関係ない!)で、しかしおっさんにウケるものばっかりやっていても意味がないというかクソなので、自分がおっさん化するか、だましながらやってくか。ADをやっていたこの一年でじぶんがすごく老けて、横柄になってしまったようだと思って悔しい。おれは永遠に若い!DANCE!!

 

バカな曲見つけました

https://youtu.be/L7DX-xxnTIA

Bitte bitte
Bitte bitte
  • Pixie Paris
  • ポップ
  • ¥200
  • provided courtesy of iTunes

2017年私的ベストBOOKS

あけましておめでとうございます。

2017年はあまり本を読めなかった年でしたが、その中から、特に面白かった10作+αを紹介します。10個+α中三つか四つは、人から紹介されたものなので、ベスト10+αに挙げてもいいのかという指摘があると思いますが、他人から勧められたものであっても、「僕がチョイスした」という点にオリジナリティがあるという姿勢で、ベスト10+αを紹介していきたいと思います!!!(あと、2017年に出版された本ではなく、2017年に読んだ本です。)

 

奪い尽くされ、焼き尽くされ

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ウェルズ・タワー 訳:藤井光

いきなり2010年の本ですが、生涯のベストいくつかに入れても良いと思う短編集で、日常で誰もがあえて目を背けていることばかりを執拗に描き、まったく救いがないながら、それでいてすべての話が優しいカタルシスのある、不思議な読後感の小説集です。枯れたアメリカとでもいうのか、アメリカンドリームなどもうまったく誰も信じていないし、登場人物だれひとりうまくいかず、そこに感傷はまったくなく、全員がイライラして、不機嫌。

特にいいのが、小説になりそうもない題材ばかり扱っていること。そして、笑えて身も蓋もない比喩や表現のかずかず。湖を「ブルージーンズのよう」な色と言ったり、ピンク色した鳥のヒナを描写するときの、「半分火の通った消しゴムが、いつの日か売春婦になりたいという夢を持っていたら、こんな見かけになるだろう」という表現とか、いわゆる日本の私小説のような「文学的な表現」に対するあこがれなど微塵もないところ、すごく好きになりました。

 

 

 

死体展覧会

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ハサン・ブラーシム 訳:藤井光

これは2017年の本。

バグダッド生まれでフィンランド在住の作家による短編集。

ニュースで目にするテロや宗教間の対立、生活の混乱などが、生きたものとして内側から描かれていて、まずその現実?の描写の説得力や凄惨さに度肝を抜かれ、さらに作品の持つファンタジックな部分が、さらにリアリティを強めています。これは決して戦争体験のルポルタージュではなく、寓話的要素の強い小説であるところが重要です。フィクションであることで現実の壮絶さを最も表現できるという、芸術の神髄です。そして最もすごいのが、悲惨な内容を描きながら、ユーモアというか、笑いの姿勢が文体にあらわれていること。やはり悲惨すぎると笑いに繋がってしまうし、本当の悲惨さは笑いにすることで一番伝えることができるのかも。「悲惨さを笑う」という(変換したら「嗤う」になってムカついた)のは、ここに挙げている本すべてに通じるベース音かもしれないです。。。

 

 

 

 

サミュエル・ジョンソンが怒っている

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リディア・デイヴィス 訳:岸本佐知子

56の短編が収められた本。

かといってクソ分厚いわけではなく、平均的な厚さなのですがその理由は、1ページ以下、ときには1行の小説が多くあるからです。とにかく、面白い。あんまり使いたくないですが、シュールな面白さです。リディア・デイヴィスの特徴は、そのスタイル以外には、ドライさにあると思います。事物に対して突き放したような、その距離感が絶妙で、それがまた可笑しさにつながっています。書けば小説になってしまう人なのではないかと思います。文章の笑いの、かなり洗練された例のうちのひとつではないかと・・・好きすぎて賛辞が薄いですが・・・あと!岸本佐知子さんの訳業はまちがいなくこの面白さに一役買っています。ヘンテコな人でないとこれは面白く訳せないと思うので!ちなみにリディア・デイヴィスの本は現時点で4つ邦訳がありますが白水社『ほとんど記憶のない女』はペーパーバック版があってリーズナブルです。すべて岸本さん訳。岸本さんは1970年生まれですがめちゃくちゃSNSやってます。

 

 

カステラ

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パク・ミンギュ 訳:ヒョン・ジェフン 斉藤真理子

韓国の小説家パク・ミンギュの小説集。

ひじょうにポップな語り口で、さらっと心の奥の寂しさみたいなものをストンと突くような、むしょうに切なくなってしまう小説がたくさん収められています。とにかく、うまい。で、これも例によって笑えます。表題作「カステラ」は、大学生の主人公「僕」が、冷蔵庫の中に、「大切なものや害悪を及ぼしうるもの」(父親やマクドナルドやアメリカなども入ってしまう。むろん、すべて害悪を及ぼしうるものだ)をどんどん入れていくという小説。この本の登場人物たちも、やりきれなさにあふれていて、世の中のどうしようもなさにうんざりしきっている、そこを、なんとかすいすいと避けながら、うまく生きて行けたらなあという、すごい王道なことを照れながら、ヘンなやり方でやっている、そういう小説だと思います。

 

 

三美スーパースターズ 最後のファンクラブ

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パク・ミンギュ 訳:斉藤真理子

パク・ミンギュのデビュー長編小説。好きなので二冊入れてしまいました。

三美スーパースターズとは、かつて韓国プロ野球に存在した実在のチーム。史上最弱で解散した野球チームに若き日のじぶんを重ね合わせて、主人公の人生が物語られていきます。この本も、まーーふざけてる。途中から、野球の純粋な・絶頂の・神髄が登場して純粋・絶頂・神髄の三人が討論し始めたり、アフリカの野球チームの顛末にページが割かれたり、普通に大喜利が強い。つくづく、おふざけから世界が見えることは多いと感じます。途中から青春小説の色彩を強めたり、いろんなカラーがごたまぜになったデビュー作らしい小説で、最終的になんかナイーブな感じになってしまうような気もしますが、読んでいるときにはそんなこと気にならず、ぐいぐい。めちゃくちゃ面白かった!アメトーークで紹介されたのでここではあえて書かなかった『ピンポン』も、大傑作です!ガンボコ訳出されてほしい!やくしゅつ!

作者パク・ミンギュ

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 サイコーですね。

 

ティファニーで朝食を

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トルーマン・カポーティ 訳:村上春樹

 ここにきて急にカポーティです。

ティファニーで朝食を』は、高校生のころに読んだときはまったく面白くなく、ふーんこれが名作かと思ってほっぽっといたのですが、あるきっかけがあって読み直して、腰を抜かしました。文章が上手すぎる。いや、上手いとかそういうんでなく、感覚的にすっと入ってきてまったく無駄がなく、卓抜で人を振り向かせる比喩に満ちていて、いちどは文章を書いたことのある身として、途方もない隔たりと畏敬の念を感じたのでした。当時のアメリカで爆発的に受け入れられたのもうなずけます。『ティファニー』が出版されたのは1958年、一般市民の生活はきびしくともまだキラキラしていたアメリカに生きるホリー・ゴライトリーのような人物は、もう小説や映画に登場することはないだろうと思うとさみしいですが、それだけに永遠の輝きを持って何度でもぼくらの前にあらわれてくれるのです。

 

 

結婚式のメンバー

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カーソン・マッカラーズ 訳:村上春樹

カポーティと同時代の作家、カーソン・マッカラーズの中編小説。

アメリカ南部に住む十二歳の少女フランキーが、兄の結婚式に参加したらすべてが変わるという思いから奇矯な行動に出、そして・・・

これは本当に面白かった。本当に。。。

説明したら野暮になってしまうことだらけで、読んでくださいとしか言いようがないが、あの年齢特有のやきもきして、感情が身体の大きさをはるかにはちきれて膨張していたころが鮮明によみがえる、すんんばらしい小説です。春樹の仕事は量・質ともにすごい。。ありがたい。

あと、安い!!!!!これだけの名作が!!!!!!税抜590円!!!!!!!日本も捨てたものではない!!!!!!多少は!!!!!!

イェエエエエエェェェエエエエエエーーーーイ!!!!!!!!!

 

 

ほんとうの中国の話をしよう

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余華(ユイ・ホア) 訳:飯塚容(ゆとり)

世界的ベストセラー『兄弟』の著者が、10のキーワードで現代中国のことを描くエッセイ集。

マイケル・サンデルふうのタイトルから、TEDトーク的な内容を想起してしまったが、実際は小説家の書いたかなり本格的なエッセイ=随筆で、プレゼン感とかパパラッチ的な内容ではぜんぜんなかった。英語版のタイトルは"China in ten words". どっちにしろ、タイトルでじゃっかん損してる気もするが、、ちなみに国内発禁だそう。

キーワードは「人民」「領袖(りょうしゅう)」「読書」「創作」「魯迅」「格差」「革命」「草の根」「山寨(シャンチャイ)」「忽悠(フーヨウ)」。

冒頭の「人民」から、読みごたえが凄いです。翻訳物の醍醐味といっていいでしょう。(翻訳もの、という書き方が好きでないので、翻訳物、と書きました。「もの」ってすごい腹立ちませんか。温泉もの、とか)ぼくは世界のことをなにも知らないのだと、翻訳を読むたびに思いますが、この本はそういった点のデパートです。すべてが新鮮なのですが、なかでもすごいのが「山寨(シャンチャイ)」と「忽悠(フーヨウ)」。「山寨(シャンチャイ)」とはコピー・模倣品のこと。「忽悠(フーヨウ)」とは、揺れ動くこと。どちらも中国語でのみ表現可能なことばですが、どちらも、いま全世界を覆いつしつつある、「本物か、偽物か」ということにかかわっています。中国国内のカオスは、世界の混沌部分を凝集したナンプラーのようなもので、これはいずれ全世界に広がっていくと思います。けっこうまじめな内容に思えますが、例によってこの人もふざけた人なのが文体から伝わってきます。訳の飯塚容(ゆとり)さんも、いい名前ですよね。

 

 

死の鳥

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 ハーラン・エリスン 訳:伊藤典夫

ウルトラヴァイオレンスSFの大家、ハーラン・エリスンの短編集。筒井康隆と同い年。

新作の刊行は、あのひどすぎる作品にタイトルをパクられた、『世界の中心で愛を叫んだけもの』以来、だいたい40年ぶり。

なんたってまず、タイトルが凄いです。「「悔い改めよ、ハーレクィン!」とチクタクマンはいった」「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」とか。内容もタイトルにたがわぬブチ壊れっぷり。まったく読みやすくないですが、至極カッコイイので、四の五の言わずに読んでください。『ヒトラーの描いた薔薇』という文庫本も2017年に出た。

 

 

あの素晴らしき七年

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エトガル・ケレット 訳:秋元孝文

いろいろ紹介してきたけど、これが一位かもしれません。

戦時下のイスラエルに暮らす作家によるエッセイ集。

するとどうしても、深刻な現実を重く描いたものを思い浮かべますが、これがまた、あっけらかんと明るいのです。いや、明るいというか、妙な解放感というか、ユーモアがなければ生きていけないという感覚というか、わかりません。でも、その肩の力の抜け方が、爆弾が降ってくる日常が描かれているのに、とても安心できるのです。

表紙の絵は、スマホゲームに関するエッセイにちなんだもの。がんらいあまり文芸の題材にならなかったスマホゲームやSNSの話題をさらっと書いているところにも、新時代の本だなという感じがします。

お姉さんの結婚の話が好きです。

 

騎士団長殺し

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なんというか、円熟の作品でした。上下二巻をたっぷり使った構成で、ベテランでないとここまで引っ張れないよなあという話の展開には余裕が感じられました。いままでの小説のいろいろな要素が入ってきている点は『1Q84』と同じですが、より質素で動きの少ない、そのぶんどっしりした、いい小説だと思いました。「村上春樹における悪」という卒論を書いた身として、言わせていただきますが、この小説は、

 

いい!!!!

 

ゆっくり落ち着いて、休暇にもう一回読みたい小説です。

 

村上朝日堂

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おまけ。

村上春樹を卒論にしておきながら、初期のエッセイには手を付けていませんでしたが、その面白さに今更ビックリ。数十年でいろんなことがあって、春樹という人は変わったなあとしみじみ思います。なぜって、このエッセイ、すごいふざけてて適当だから。安西水丸の絵にもそれが出てるでしょうが。軽いんだけど、文章のうまさはこのときから健在。ひとつひとつの文章の短さもいいですね。

 

おわりに

頼まれもしないのに12個も紹介して疲れましたが、思ったより書いていて面白かったので、気が向いたらまたやろうと思います。後半息切れしたのでつぎも息切れするかどうか見てください。今後も海外小説中心で読んでいくことになると思いますし、日本の若い作家にはほとんど興味がないですが(中原昌也とかをのぞいて。若くないか?)、つぎにはものすごい興味が出てるかもしれません。

じゃあ、また今度。

 

 

 

 

 

 

😻にゃんこスターの身軽さ

にゃんこスター

にゃんこスターアンゴラ村長は、「(ワタナベエンターテインメントに所属したが)これからもOLを続けてゆく」「別れたら解散」という発言をしているが、これはすごいことだと思う。ちょっとできないことだ。いや、正確には、だれもがやりたいと思っているが、できないことだ。

 

人間、好きなことだけやって生きていくのが本当に決まっている。お笑いが好きでやっていると楽しいから、芸人になる。でもお金も欲しい。安定(だと思われているもの)も欲しい。でも自分のやりたいことはつらぬきたい。アンゴラは全部やっちゃったのだ。

 

芸人とサラリーマンの変わらなさ

テレビで若手芸人を見たり、若手芸人のライブの中MCを聞いたり、トークライブを見たり、ツイッターを見たりしてると、苦しい。ぜんぜん、自由さがない。賞レースの煽りVTRでさえ、いつからあんなに苦しくなっちゃったの?って感じ。みんな、売れることに必死だ。いつのまにかできあがった「芸人像」に向かって、それ用に自分をつくりかえることに躍起になったり、もしくは自分はテレビに向かないと言ってどんどん殻にこもったりする。要するに、だれかの顔色ばかりうかがっている。そういう競争社会って、ふだんサラリーマンが会社の中でやっているやつと、まったくおんなじなのだ。電車の中で聞く愚痴と、さほど変わりがないのである。視聴者が、若手芸人に期待しないのは、そのためだ。「面白い」ということをさっぴくと、じぶんとそんなに変わらない性質の人が出ているのだから。

(そんな中、「早めにセミリタイアしたい」「テレビも面倒」と言ってるヤーレンズに、ほっとしたりする。もちろん、ほかにも縛られてない芸人さんとかは、いっぱいいらっしゃいます)

 

競争しない

にゃんこスターは、競争していなかった。本人たちに自覚のあるなしにかかわらず。キングオブコントの予選の中でも、決勝の中でも、競争していなかったのは一組だけだった。そして、たぶん、執着もしていない。

 

ぼくは、競争しない人たちが好きだ。タモリ爆笑問題おぎやはぎ野性爆弾川谷絵音とかもそうだし、みうらじゅん向井秀徳、他にもたくさん。

執着がなく、簡単に越境できる人も好きだし、

要するに、競争したら負けだって、言いたかったんです。

 

 

じゃあお前はいったい何者なんだって言われると、毎日適当にたのしく暮らしてます。

 

 

 

おしまい

 

おしまいです!!!!!!!!!