もう12月3日かい!
先月に開催を決めた「軟らかい水 新ネタライブ『happy hour』」まで一ヶ月半となってしまった。ネタは作っているけども、小道具が大変なものばかりになってしまって、工作が間に合わない。間に合わないというのは多分嘘で気分的に間に合っていない感じがするだけのこと。しかしゲストに来てくださる皆さんは本当に一つのことを続けていてすごい、自分はかなり方々に気が散ってしまう人間で、よく言えばやりたいことが多すぎるので散漫に多動に過ごしている。
お笑いのネタを見て「(短編)映画を見たようだった」という感想はよくあるが、その感想はお笑いのネタを映画の域にまで引き上げて評価してみせているつもりかもしれないが、評者がお笑いのネタを映画より下のものとして感じていることの表れである。
3分の映画を作る労力と3分のネタを作る労力はどのように違うのだろうか?
かかる資本で言えばカメラや照明やマイクや役者の手配、道路使用許可の申請費、衣装代、小道具代など、映画の方が純粋にかかるお金は大きいだろう。
対して3分ネタというのはかかる経費で言えば衣装代・小道具代くらいである。そのほかにファミレスとか喫茶店でうんうん唸ってネタを作り出すという時間と飲み物代があるが、これは映画と同じである。
つまり3分ネタにかかる経費をP、3分映画にかかる経費をQとすれば、完全に
P⊂Q
なんである。
ネタが映画より下に見られる原因というのはこれなのだろうか?
自分たちは無意識のうちに、芸術にかかった費用や努力を推測してしまいがちである。かかった労力や資本を勝手に計算して「スゴイ」とかってなってるわけである。
「この映画金かかってるなあ」とかいう感想がそこから生じてくる。
いやそこじゃないだろ!!!
面白いか面白くないかなんじゃあないの!?!?
とも思うが、なんでこんなにお金一辺倒の価値基準ができてしまったのか?を考えることが重要だと思う。
あと「推し」。「お金」か「推し」かって、あなた。
「美」とか「真実」とかはどこに飛んでっちゃったのでしょうか。
でも、実際労力をかけているもの(長編小説とか、オモコロ杯の記事とか)を読むと「スゴイ」ってなってしまうけど、そこは冷静に価値を判断できる人でありたい。
そういうめんどくせ〜ことを考えてる人のライブが来年2024年1月14日(日)にあります。
ぜひ来てください。結構労力をかけているので。