自立≒自律とは、
「世界とは個別具体的なものであるということへの諦め」
にほかならないと悟った。
抽象的で一般的な物事は世の中には存在しないのだよ、ポッター君。
九鬼修造も、「いき」を、「運命によって〈諦め〉を得た〈媚態〉が〈意気地〉の自由に生きるのが〈いき〉である」というようなことを言っていた。
これを書くのにだって、『「いき」の構造』の文章を調べている。正確に書かなければいけないから。
正直面倒臭いが、全てをえいやっと解決してくれる魔法は存在しない。
なんでこんなことを書いているかというと、新ネタライブ「happy hour」の小道具や台本の制作に追われているから。
制作というのは本当に目の前のことを一個一個やって行くしかない。
「ピン芸人をやりたいのは自立したいから」と某所で息巻いたが、自立するというのは辛い。
それはそれとして、最近思っている「楽しくやるかどうか問題」というのがある。
簡単に言えば、物事の進め方において、
「ビジネスのこと考えようぜ派」vs.「楽しくやったほうがいいじゃん派」
の対立のことを考えている。
これは特にエンタメに関係している現場でよくある。
これを発生させる要素の一つとして、「大きなお金が絡まない」というのがある。
大きなお金が絡むと、クリエイティブな集団においては、「ビジネスのこと考えようぜ派」=Aと、「楽しくやったほうがいいじゃん派」=Bの、AB間の脱構築とでもいうべき立場が出現するから、AかBかという二項対立ではなくなる。AとB両方の立場が持ちつ持たれつの状態になり、利益や成果に良い影響をもたらすことも多い。
しかし、往々にして学生演劇や学生お笑いなど、「大きなお金が絡まない」イベントにおいては、A vs. Bの構図が出現し、議論は平行線になることが多い。
小屋代などの出費があるにはあるが、個々人が少しバイトすれば済んでしまい、尚且つ得られる利益も打ち上げで消えてしまうような場合。
私はこのB=「楽しくやったほうがいいじゃん派」の主張がずっとわからなかった。
特に、「楽しい」というのがどういう状態を指しているのかわからない。
こう書くと感情を失った壊れし現代人という誹りを免れないが、それはそうです。
でも、その上でBの立場の言う「楽しい」とはなんなのか?
仮説として浮かび上がったのは、「利己」としての楽しさだった。
翻って、Aの立場を「利他」の立場とすることもできる。
ビジネスのことを考える=儲け=利己なのではないか、と言う考え方もできるが、
お客さんという対象を満足させ、次に繋げることが善であるという立場にたてば、「利他」も成立する。
一方で、Bの立場が利己的なのはすんなり理解できると思う。身内での楽しさを優先させているからだ。
ただ、これではA vs. Bという二項対立を、利他 vs.利己 に置き換えただけで、何も進展していない。それに、利他の方が、利己よりも倫理的に優れているように感じるから、このような対立が成立しないようにも思える。
しかし事を複雑にさせているのは、こういう直感ではないか。
つまり、Bの立場の人々も、ビジネスのことは視野に入れていて、それが大した儲けを生まないのならば、せめて楽しくやったほうがいいじゃん、という諦めである。
これはAの立場からするとかなりげんなりする意見だ。なぜなら、往々にしてそれは正しいからである。
個人でやっている規模のものが、大きなブレークスルーを産むことは少ない。
しかし、ブレークスルーを産んだものは、必ず個人の小さな営みから出発しているのである。そこに関しては諦めないのが、Aの立場である。
では、この対立を解消するには、どうすれば良いか。
提案1:大きなお金を絡ませる
最も良い解決策はこれである。二項対立を消滅させるためには、前提条件を変えてしまうのが良い。
提案2:やらない
最良ではないが、これも視野に入れて行くのはありだと思う。
提案3:余命いくばくかの人物を登場させる
嘘でも、余命いくばくかの人物が「楽しくやりたい」と言えば、周りはそれに同調せざるを得ない。逆にその状況でもビジネスを優先させるサイコパス経営者を炙り出し、どこかの企業にヘッドハンティングさせることもできるので、一挙両得である。
提案4:その日を永遠に繰り返す
本番当日が何度も繰り返し、その日からずっと抜け出せなくなれば、目的が「抜け出すこと」に変わり、二項対立を超えた第三極が発生する。
提案5:デスゲームを開始する
黒幕的な人物が画面の向こうでデスゲームを開始すれば、A vs.Bの構図から、総当たり戦に構図を変えることができる。
提案6:トーナメント戦にする
総当たり戦の対戦回数の多さが気になる場合は、トーナメント戦にして対戦回数を大幅に削減することができる。
提案7:敗者復活戦を行う
トーナメント戦であることにより、優勝候補同士が早めに当たってしまい片方が負けてしまった場合でも、敗者復活戦を行うことで盛り上がりを担保することができる。
上記のような提案が考えられるだろう。
なんにせよ、個々人が、個別具体的なことに対処するほかはない、という「諦め」こそが、自立を導き、試合の成功、観客の動員、スポーツの振興につながってゆくのである・・・・・・・・
そんなことを考えている人間が主催するライブ、ぜひ来てください。
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